先週、一見すると関連性の薄い3つのIT関連ニュースが報じられました。公共入札への参入支援、Microsoft 365のセキュリティ対策、そして新卒採用のオンボーディング(社内研修・配属プロセス)のデジタル化です。経営者やCTOの目には、それぞれが個別の「課題解決ツール」や「専門領域の話題」として映るかもしれません。
しかし、ここにこそ、多くの企業がIT投資で成果を上げられない根本的な構造が潜んでいます。それは、個別最適化されたIT施策が、経営としての共通の目的(目的関数)を持たないまま並列し、統合的な価値を生み出せていないという問題です。本記事では、この3つのニュースを素材に、経営がITに求めるべき「横断的価値」の設計について考えます。
ニュースが示す3つの「個別最適」の現場
まず、各ニュースが何を訴えかけているのか、経営視点で整理しましょう。
1. 公共入札参入支援:「事業IT」の拡大戦略
『実績ゼロでもOK、中小企業のための公共入札入門』というウェビナーのニュースです。これは、新たな販路(公共市場)を開拓するための「事業IT」の話題と言えます。公共調達の電子入札システム(例えば「JETROの調達情報ポータル」や各自治体の電子調達システム)への対応、提案書類のデジタル作成・管理、評価ポイントを獲得するためのデジタル実績の蓄積など、ITは売上拡大の直接的な手段として位置づけられます。ここでの目的関数は「新規受注の獲得と売上拡大」です。
2. Microsoft 365のランサムウェア対策:「管理IT」の守りの徹底
『小人数情シスでも守れる、Microsoft 365のランサムウェア対策とは』というウェビナーです。これは、すでに導入済みの基幹的SaaS(Microsoft 365)のセキュリティリスクを、少人数の情報システム部門(情シス)でどう管理するかという「管理IT」の課題です。多要素認証(MFA)の徹底、SharePoint/OneDriveの復元設定、不審メールのフィルタリングなど、その目的は「業務の継続性確保とインシデントによる損害の最小化」、つまり「安定性とコスト管理」です。
3. オンボーディングのデジタル化:「経営IT」の萌芽
『7割超が「オンボーディングのデジタル化や標準化が早期離職防止に影響する」と回答』という調査結果です。新入社員の早期戦力化と定着を、デジタルツール(例えばFleekdriveやNotion、専用のHRTechツール)を用いて標準化・効率化しようとする動きです。これは、人的資源の育成と組織の再現性を高める「経営IT」の領域に近づきます。目的は「人材の定着と、属人化しない組織ナレッジの蓄積」です。
さて、貴社ではこれら3つの取り組みは、どの部門が、どのような目的で推進しているでしょうか?多くの場合、1は営業部や事業開発部、2は情シス部門、3は人事総務部が、それぞれの予算とKPIで個別に進めているはずです。これが「目的関数の分裂」の典型的な図式です。
「目的関数の分裂」が生む投資の非効率と機会損失
それぞれが個別に最適化されると、どんな問題が起きるのか。具体例を見ていきましょう。
事例:公共入札に勝ちたい営業部と、セキュリティを優先する情シス
営業部が公共入札に積極的に応募するため、外部のクラウドストレージサービスを導入して提案書類を共有・編集したいと考えたとします。しかし、情シス部門は「社外サービスへの重要書類アップロードはセキュリティポリシー違反」として承認しないかもしれません。その結果、営業は承認を得られない「シャドーIT」(経営の管理外で使われるIT)としてサービスを利用し始め、かえって情報漏洩リスクが高まる、あるいは提案活動そのものが遅延するという事態が発生します。
この対立の根底には、「売上拡大」と「リスク最小化」という経営として統合されていない2つの目的が存在します。経営が「この公共入札戦略において、許容できるITリスクとスピードのバランスはどこか」を定義していないため、部門間の綱引きが発生するのです。
事例:人事のオンボーディングツールと、実際の業務ツールの断絶
人事部が立派なオンボーディングポータルを導入しても、そこに記載されている業務マニュアルが、現場で実際に使っているSalesforceやFreee、基幹システムの最新の操作方法と一致していなければ、新人は混乱します。オンボーディングツール(人事主導)と業務ツール(各事業部主導)の管理・更新が分断されているため、投資効果が半減するのです。ここでも、「標準化されたナレッジ蓄積」と「各事業のスピードと柔軟性」という目的が分裂しています。
経営が設計すべき「横断的価値」:3つのニュースを貫く1本の軸
では、経営者はこの3つの個別施策から、どのような「横断的価値」を抽出し、定義すべきなのでしょうか。それは、「組織の持続的成長を支える、統合されたデジタル基盤(Digital Foundation)の構築」という視点です。
この視点で3つのニュースを再解釈すると、以下のようになります。
- 公共入札支援:単なる販路拡大ではなく、「外部のデジタル調達プラットフォームと、自社の業務・提案プロセスを如何に安全かつ効率的に接続するか」というデジタル接続性(Digital Connectivity)の課題。
- M365セキュリティ対策:単なる防御ではなく、最も広く使われるコラボレーション基盤の安全な運用基準(Secure Operation Standard)を確立し、他の全てのSaaS連携のセキュリティモデルの基礎とすること。
- オンボーディングのデジタル化:単なる人事業務効率化ではなく、組織のナレッジと業務手順を、確立されたセキュリティ基盤の上で標準化・伝達(Standardization & Propagation)する仕組み作り。
これらはすべて、「バラバラに成長してきたSaaSや業務プロセスを、セキュアで持続可能な一つの基盤として再統合する」という、より高次の経営課題の一部なのです。
実践ステップ:横断的価値に基づくIT投資の問い直し
次に、新しいプロジェクトやツール導入の検討が部門から上がってきた時、経営者やCTOは以下のような問いを投げかけてみてください。
1. この投資は、既存の「デジタル基盤」とどう統合されるか?
「この新しいオンボーディングツールは、既に全社員が使っているMicrosoft 365アカウントでシングルサインオン(SSO)できるか? そこで作成されたマニュアルは、SharePointに自動的にバックアップされ、セキュリティポリシーの対象となるか?」
この問いは、新規ツールを「孤島」にさせないための最初の関門です。統合コスト(API連携やユーザー管理)を事前に評価させましょう。
2. この施策が成功したら、他の領域にどう横展開できるか?
「公共入札で培った電子提案書の管理プロセスとセキュリティチェックリストは、重要な顧客への通常の提案活動にも適用できないか?」
「小人数情シスで確立したM365の監視手法は、今後導入する他のクラウドサービス(例えばCRMやERP)の監視モデルのテンプレートにできないか?」
横展開可能性を考えることで、投資の潜在的リターン(ROI)を拡大する視点が生まれます。
3. このプロジェクトの責任者は、その「横断的価値」を定義しているか?
最も重要な問いかけです。営業部長に「公共入札支援ツールを導入したい」と稟議が上がったら、「それは単に営業部のツールですか?それとも、我が社が外部デジタルプラットフォームと取引する際の標準的な窓口(ゲートウェイ)になる可能性がありますか?」と尋ねてみてください。
プロジェクト担当者の意識を「部門の課題解決」から「会社の資産構築」に引き上げる瞬間です。
まとめ:IT投資は「経営の接合術」である
公共入札、セキュリティ、人材定着。これらは、経営が直面する多様な課題の一面に過ぎません。ITは、これらの課題を個別に解決する「ツール箱」として使われるうちは、コストセンターであり続け、統合の難しさに悩まされ続けるでしょう。
しかし、経営がITに求めるべき本質は、これらのバラバラの課題やチャンスを「接合」し、組織全体の持続的成長を支える一貫した基盤を築くことです。個別のニュースやツールの紹介に踊らされるのではなく、それらが自社の「デジタル基盤」という大きな絵のどこに位置し、どのように接続されるべきかを常に問い続ける。
その不断の問いかけこそが、ITを真の経営資源へと変える、最初にして最も重要な一歩なのです。

