行政サービスDXの裏側にある「経営判断の空白」
2026年7月1日、千葉県松戸市が行政サービスのデジタル化を本格始動させる。具体的な内容は窓口手続きのオンライン化や申請書類のペーパーレス化など、いわゆる「行政DX」の典型例だ。一見すると単なる便利化施策に映るが、経営×ITの視点で見ると、ここには多くの中小企業が抱える「ITを定義しないことの代償」が凝縮されている。
松戸市の取り組みは、市民にとっては「役所に行かなくて済む」というメリットがある。だが、その裏側では「なぜ今までできなかったのか」という構造的な問題が潜む。多くの自治体では、IT導入の目的が「業務効率化」や「市民サービス向上」といった抽象的なレベルで止まり、具体的な「何をどう変えるか」という経営判断が行われてこなかった。これは、中小企業のIT戦略が「とりあえずクラウド導入」「とりあえずペーパーレス」と目的不明瞭なまま進む姿と完全に重なる。
松戸市のDXが進む理由は、首長のリーダーシップや職員の努力もあるが、本質的には「ITを定義した」からだ。つまり、行政として「何のためにITを使うのか」を明確にし、それに基づいて予算とリソースを配分した。この「定義」の有無が、DXの成否を分ける最大の要因である。
なぜ自治体と中小企業は同じ過ちを繰り返すのか
松戸市のような先進事例が注目される一方で、多くの自治体や中小企業はIT導入に苦戦している。その理由は単純で、「ITは専門家に任せるもの」という誤った前提が根強いからだ。経営者や首長が「ITはよくわからないから情シスやベンダーに任せよう」と考える瞬間、ITの目的は「安定稼働」や「コスト削減」といった狭い範囲に限定され、本来の「事業成長の手段」としての役割を失う。
この問題は、先日発表された「情シス365」の動きにも如実に表れている。中小企業向け情シス代行サービス「情シス365」は、大手ベンダーからの乗り換え専用LPを公開した。これは、多くの中小企業が「機器販売起点のIT保守」に縛られ、本来のIT戦略を考える余裕すら持てていない現状を打破しようとする試みだ。
「機器販売起点のIT保守」とは、サーバーやパソコンを買ったら、そのメンテナンス契約がITの中心になる状態を指す。このモデルでは、ITの目的は「機器を動かし続けること」に矮小化される。経営者が「IT戦略」を考える必要はなく、ただベンダーから提案された保守契約を更新し続ければいい。これは、経営がITを定義しない「楽な道」である。しかし、その代償として、IT投資のROIは永遠に出ず、業務改善のチャンスを逃し続けることになる。
「情シス365」が示す新しいITの姿
「情シス365」の乗り換えLP公開は、単なるサービスの切り替え提案ではない。これは「ITの目的を再定義する」というメッセージを含んでいる。大手ベンダーの保守契約から脱却することで、企業は「なぜITを使うのか」をゼロベースで考え直す機会を得る。具体的には、月額数千円の情シス代行サービスに切り替えることで、年間数十万円の保守費用を削減しつつ、IT戦略の相談やセキュリティ対策までカバーできる。
この動きは、松戸市の行政DXと同じ構造を持つ。つまり、「従来のやり方を続けることのコスト」を認識し、「新しい目的のためにITを再定義する」という経営判断が求められているのだ。松戸市が「市民の利便性向上」という目的のために行政手続きをオンライン化したように、中小企業も「事業成長」や「業務効率化」という具体的な目的を設定し、それに合ったIT投資を行うべきである。
経営者が「ITを定義しない」ことの3つの代償
ここで、経営者がITを定義しないことで発生する具体的な代償を整理する。松戸市の事例と情シス代行の動きから見える共通の課題である。
1. IT投資の目的が分裂する
経営がITの目的を定義しないと、各部門がバラバラにツールを導入する。営業はSalesforce、経理はfreee、総務は勤怠管理システムと、それぞれが「自分たちの業務を楽にする」ために導入する。結果、データは統合されず、経営全体の意思決定に使えない「サイロ化」が進む。松戸市でも、各課が個別にシステムを導入した結果、連携が取れず二重入力が発生するという問題が起きていた。この問題を解決するには、経営レベルで「どのデータをどう使うか」を定義する必要がある。
2. 属人化が加速する
ITの目的が定義されていない組織では、特定の社員や職員が「ITに詳しいから」という理由でシステムを管理する。その人が退職したり異動したりすると、システムの運用がストップする。松戸市でも、熱心な職員が個人的にシステムを構築した結果、その職員の異動後にシステムが使えなくなった事例がある。情シス代行サービスは、この属人化を解消する手段としても有効だ。専門家が定期的にチェックすることで、個人依存から組織運用へと移行できる。
3. 変化に対応できなくなる
ITを「保守」の対象としか見ていない組織は、環境変化に脆弱だ。例えば、2025年のインボイス制度対応や2026年の電子帳簿保存法改正など、法規制の変更に際して、システムを迅速にアップデートできない。松戸市が行政DXを進める背景には、国からの「デジタル完結」方針がある。これに対応できない自治体は、市民サービスで遅れを取るだけでなく、国からの補助金も受けられなくなるリスクがある。中小企業も同様で、競合がDXを進める中で取り残されれば、顧客離れや取引条件の悪化につながる。
経営者が今すぐやるべき「ITの定義」とは
松戸市の事例と情シス代行の動きから得られる教訓は、ITは「導入」ではなく「定義」が先決だということだ。具体的には、以下の3ステップを踏むことを推奨する。
ステップ1: 目的を言語化する
「なぜITを使うのか」を、経営者の言葉で定義する。例えば、「売上を20%上げるために顧客データを一元管理する」や「残業を30%削減するために経理業務を自動化する」といった具体的な目標を設定する。抽象的な「業務効率化」ではなく、数字と期限を入れることが重要だ。
ステップ2: 現状を棚卸しする
現在使っているシステムや保守契約をすべてリストアップする。その上で、それぞれが「目的」に貢献しているかどうかを評価する。もし貢献していないシステムがあれば、それが「機器販売起点のIT保守」の名残かどうかを疑う。情シス代行サービスを活用すれば、この棚卸しを専門家に依頼できる。
ステップ3: 投資判断の基準を作る
新しいITツールを導入する際の判断基準を決める。例えば、「投資回収期間は2年以内」「導入後6ヶ月で効果測定を行う」「データ連携が可能なツールのみ採用する」といったルールを設ける。これにより、目的のないツール導入を防げる。
まとめ: ITを「経営資源」として捉え直す
松戸市の行政DXと情シス代行の新たな動きは、どちらも「ITを定義することの重要性」を浮き彫りにしている。ITはもはや「専門家に任せるもの」ではなく、経営者が直接定義すべき経営資源である。経営者がITを定義しないことは、それ自体が「現状維持」という経営判断であり、その代償は日々の非効率や競争力の低下として顕在化する。
あなたの会社のIT投資は、明確な目的に基づいているだろうか。それとも、ただの「保守契約」に縛られていないだろうか。今こそ、ITの定義を見直す時だ。

