はじめに
多くの企業でITプロジェクトの失敗は珍しいものではありません。計画超過や期待未達、現場の疲弊といった結果が繰り返されているにもかかわらず、その失敗が明確に責任追及されることはほとんどありません。本稿では、なぜIT失敗だけが例外的に責任追及されないのかを、個人の能力や姿勢の問題ではなく、経営判断と意思決定構造の問題として整理します。
失敗しても「誰の判断か」が分からない
IT失敗が責任追及されない最大の理由は、失敗時点で次の問いに答えられないことにあります。「誰がこの判断を下したのか」「どの前提に基づいて決めたのか」「何を成功と定義していたのか」。これらが明文化されていないため、失敗は常に「想定外だった」「環境が悪かった」「技術的に難しかった」という説明に回収されます。責任を問う以前に、責任の置き場所が存在しないのです。
ITだけが「判断なき実行」で進んできた
多くの経営領域では、実行の前に判断があります。投資には意思決定があり、事業撤退には決断があり、組織再編には責任者がいます。一方、ITでは、現場の要請や技術的な必然性、既存システムの制約といった理由で、判断を経ない実行が積み重なってきました。その結果、失敗しても「判断ミス」として検証されることがありません。
委任と放棄が責任を曖昧にした
「ITは専門家に任せるべきだ」という考え方は、責任構造にも大きな影響を与えました。経営は専門性を理由に判断を引き取らず、専門家は経営判断の代行を期待され、現場は制約条件の中で対応します。この状態では、失敗は常に「誰かの努力不足」や「不運」として処理され、経営判断として検証されることがありません。
失敗が構造ではなく事象として扱われる
IT失敗は、スケジュール遅延やコスト超過、トラブル発生といった事象として語られがちです。しかし本来問うべきなのは、「なぜその前提を置いたのか」「なぜ止める判断ができなかったのか」「なぜ統合的に設計されなかったのか」という構造の問題です。構造に踏み込まない限り、責任追及は成立しません。
責任追及しないことが合理的だった時代
IT失敗が責任追及されなかった背景には、経営にとっての合理性も存在していました。技術変化が激しく予測不能で、失敗の因果を説明しづらく、責任を問うと誰もITを引き受けなくなる恐れがあったのです。その結果、ITは「失敗しても仕方がない領域」として扱われるようになります。
その結果、何が起きたのか
責任が追及されない構造の中で、次のような現象が固定化されました。
- 同じ失敗が繰り返される。
- 判断プロセスが蓄積されない。
- 成功も失敗も再現できない。
これは、IT部門やベンダーの問題ではなく、経営が判断を引き取らなかった結果です。
責任を問うとは、誰かを責めることではない
重要なのは、責任追及が個人攻撃ではないという点です。本来の責任追及とは、「どの判断が誤っていたのか」「どの前提が間違っていたのか」「次にどう変えるべきか」を明らかにする行為です。それが行われない限り、組織は学習できません。
次に必要なこと
IT失敗を繰り返さないために必要なのは、失敗の責任を現場に押し付けることでも、新しい管理ルールを増やすことでもありません。まず必要なのは、「ITを判断した主体を明確にすること」と「判断と結果を結びつけて検証すること」です。次稿では、経営戦略とIT戦略が並列になる瞬間を取り上げ、この責任不在構造がどのように拡張していったのかを扱います。

